現実逃避5.0

覆水盆に返らず

屋上 入院生活40日(8)

入院患者の屋上への出入りは自由だった。屋上からは、度田舎の風景を一望することができた。森と住宅街が見える。いや基本的にはそれしか見えない。それでも、遠くの集合住宅の並び方など、印象的な風景もあった。

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屋上には滅多に人がおらず、一人でいると開放感も寂寥感もひとしおだった。屋上が出入り自由というのは、特に説明を受けていたわけじゃないが、立ち入って怒られもしないので、なんとなくかよっていた。ある日、スケッチブックを見た医者が、↓の絵をいいと言ったので、そのときから、夜間も含めて正式に立ち入りは自由ということに、私の中ではなった。

f:id:machigaeta:20210708014857j:plain屋上で点滴棒片手に、上の絵を描いたのは、入院中盤の晴れた日の夜8時頃だった。その走り書きの字からも、私は落ち着いていたと思う。後の、治療が進んで点滴棒から解放された頃にも、今度は画材だけを持って、夜の屋上に出た。そのとき、暗い夜の、人のいない、田舎の病院の屋上というものが、普通に怖いところだと気づいた。そして、点滴棒が心の支えだったことにも気づいた。肌身離さず持って、無いと不安になるような愛着の対象を、心理学では「ライナスの毛布」というそうだ。開いたスケッチブックに絵のアタリをつけただけで、早々に退散した。

それでも点滴棒は、だいたいにおいて煩わしい。風の強く吹いている日など、点滴棒に大きめの点滴袋をぶら下げて屋上に出ると、その袋が帆の役割をはたし、点滴棒が帆船のように出港してしまい、慌てて追いかけたこともあった。

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