数年前のこと。
少し暇が出来て、一人旅に出かける事にした。
行き先は伊豆諸島、東京都八丈島。
あてがわれた「二等和室」なる空間は、船底の雑魚寝用カーペットスペースだった。
一人分の区画を分けるために無慈悲に引かれた白線が、昔世界史の資料集で見た奴隷船の図を思い起こさせた。
収容スペースを辞去し、デッキに出ると、東京湾は
今見た物を忘れさせてくれるほどの夜景だった。
内海は凪いでいて、デッキを海風が優しく流れた。
ベイエリアの光が静かに遠ざかる。
船が外洋に出たとき、乗船券に押されたスタンプの意味を知った。
条件付運航 目的地に到達できない場合もございます。 |
それから15分程度で、死ぬほど船が揺れていなかったときの感覚は忘れた。
『蟹工船』を書いた小林多喜二は、強靱な三半規管を持っていたのだろう。
今、せり上がってきている胃液をよそに、それ以外の何に関心が持てるだろうか。
今なら私の人間性を否定するような支配者にも
「殺してください」と心から言えるだろう。
じっとしていることが出来ず、ふらつき、
さまよいながら、たどりついたのは食堂だった。
「攻撃は最大の防御」
そんな言葉が頭を渦巻いた。
ほうぼうの体で食堂の席に座る。
つとめて一瞬、メニューに目を落とす。
すぐに彼方の海原を見る。
「ピラフ」
三文字が発せられる限界だった。
今胃に物を入れるなど、自殺行為だと言うことは解っている。
しかし何かで気を紛らわせたい
いや、早く楽になりたい。
ピラフを作る厨房から、
程なくして、「チン!」という、電子レンジのタイマーのような音がした。
しかし、私には質問をする余力など無かった。
つづく
燃え尽きたぜ、真っ白にな by宇喜多秀家(左の像)