現実逃避5.0

覆水盆に返らず

俳画(納涼)

  昔ラジオから流れてきた、空飛ぶ山伏の怪談を憶えています。

雪深い山の奥にある、簡素な避難小屋。数人の山人が肩を寄せ合って朝を待っている。そこにどこからともなく、シャン、シャン、シャンという、山伏の持っている、あの錫杖(しゃくじょう)の音が近づいてきて、ドンドンドンドンと戸を叩く。

人ならぬその気配に、山人たちが息を殺していると、錫杖の音は屋根の上に舞い上がり、天井をどーん、どーん、と飛び跳ねた。

 そんな話を聞いたのは、『山怪』という、山に暮らす人の不思議な話を纏めた本の特集番組であったと思います。

山怪 山人が語る不思議な話

山怪 山人が語る不思議な話

 

読んでない本を薦める(自由律)

空飛ぶ荒法師。底知れない怖さとスター性を感じます。

 

時は流れて、昨年8月のある日、私は無謀な登山客として、旭岳の濃霧の中を一人歩いていました。

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道中数回、霧の彼方に気配を感じることがありました。やっと人がいた!いや人か?もしや熊か?そのとき、脳裏をよぎったのは、あいつでした 

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なお霧は秋、登山は夏の季語らしいです。

 

来月また旭岳に行きます。

マルチタスクとシングルタスク

 複数の仕事を同時処理する仕組みを表す「マルチタスキング」は、もともとコンピュータ科学の言葉である。
これが人間の脳の使い方を表す言葉として逆輸入されてから、その訓練によって能力の向上をはかれる 等の言説と相まって、忙しい現代人の理想のやり方として、特に脳科学自己啓発などの界隈で持て囃されてきた。

 しかし、脳はマルチタスクで働くときに、処理能力を著しく低下させるというのが、最近の科学の通説であるという。
マルチタスクでは、脳が細切れにしたタスクを、頻繁に切り替えながら処理するため、不要のストレスが掛かってしまうらしい。

 脳の処理能力を引き出すためには、集中して一つの仕事にあたるシングルタスクが望ましいようだ。

 私は昔から物事の同時処理が苦手だったので、実感としてもよくわかる。

 しかし、時間の使い方の観点からは、マルチタスクにもまだ分があるように思う。

遊休時間を作らずに常時稼動していられるからだ。
シングルタスクで、マルチタスクを上回る成果を出すには、意識して時間を使い、効率的に動くことが肝要だろう。普通の結論に至った。

 一つ例を挙げたい。
ここから先は下ネタである。

 次の①②③は、男性がトイレの小便器で小用(小便器と言った直後ではこの表現も意味がない)を足したあとに行われる一連の動作である。

① 例の物におしっこが残らないように、しっかりと振って水分を切る。
② 例の物をしまって、ズボンのチャックをしめる。
③ 回れ右(左)して小便器の前を離れる。

私には忘れられない記憶がある。
あれは旅行ばかりしていた学生時代、山陰の静かな駅だった。

 

 トイレで小用を足す私。左隣には40代くらいの男性。
ビシッとスーツで決めた、いかにも仕事の出来そうな紳士であった。
並んで小用を足すこと十数秒であったか、
紳士の水流音が、こちらより早く止まったのを感知した私は、そのことに妙な劣等感を覚えつつ、僅かの時間一人残るだろうトイレの静けさのことなどを考えていた。
 次の瞬間である。

私はあのときの飛沫を忘れない。

田舎紳士は、②紳士自身をしまいながら ③回れ右をしたのである。
①で切れずに残った水滴は、大いなる慣性の力で、彼の右にいた私に。

 

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紳士はおそらく、そのことに気づかなかっただろう。
気づいた私は、あまりのことに、怒ることも出来なかった。

 

この一件の後、私はトイレで人が横に立つことを恐れた。
小用はなるべく人と並ばないように心がけた。

それでも、あの日から15年近い生活の中で、同様の惨劇は何度か、私の身に起きたのである。
いずれの時も私は相手に指摘しなかった。
 人におしっこを掛けるということは、特殊な関係以外では、最大の罪である。
意図せず加害者になってしまった場合の罪悪感、自己嫌悪は焼き土下座でもぬぐえないものだ。
世の男性に言いたい
②③について、絶対にマルチタスキングでしてはならない。
同時に行えば、それはスプリンクラー以外の何物でもないのだから。


ところで、私はときどきチャックがあいている。
それは私自身(myself以外の意味はない)が①②③を正しく励行できていないことの証左ではないかと、不安になるのである。